私は環境問題や貧困削減などの活動をしているNPOに勤務しています。
大学が国際学部だったと言うことからそういった事に非常に関心があり、今の仕事をしています。
仕事もプライベートも合わせて、今までいくつもの国や地域を訪れてきましま。たくさんの人に出会い、美しい景色を見てきました。
そして、私はアルゼンチン出身の医師であり、キューバ革命の中心人物である「チェ・ゲバラ」が大好きです。
彼の考え方、生き方、行動力などその全てに魅了させられました。大学時代の歴史の授業で初めて彼のことを知り、それ以降彼に関してを学んできました。彼の書いた日記を読んだり、映画を観てきました。そして、彼が学生時代に南米をバイクで旅しながら各地で抱えている問題に直面し、その状況を変えようと思い、後にキューバ革命に参戦することになったと知りました。そして、私はチェ・ゲバラと同じ軌跡を歩いてみたいと思い南米でバックパックをすることを決めました。後にこれは人生最高の旅になりました。「南米」という日本の反対側にある地域に行くには時間もお金もかかると思い、半年後に日程を決め、そこに向けて資金集めと仕事の調整をはじめました。旅の時間は3週間としました。
そして、半年後の迎えた当日、ニューヨーク経由でチェ・ゲバラのふるさとであるアルゼンチンのブエノスアイレスに入りました。
現地で「乗り捨て」ができるオートバイを事前に手配していたと言うこともあり、早速旅をスタートしました。
ブエノスアイレスから私はチェ・ゲバラと同じく中米方面をめざしました。
チェ・ゲバラが先輩と2人旅でしたが、私は1人旅でした。
宿泊は主に持参してきた寝袋とテントをうまく利用しながらしましたので、ホテルは本当にどうしようも無いとき以外は利用する予定はありませんでした。
国際カードを持っていたため、現地で大金を持つことはせず、2-3日に1回おろすぐらいだったので寝袋で泊まるときもパスポートにだけ細心の注意を払うだけでした。
バイクに乗ってウルグアイのモンテビデオやブラジルのサンパウロを抜けていきました。日本では感じられない「陸路での国境越え」が意外と簡単に済んだのが印象的でしたが、南米の国境付近で大きな荷物を持ったままバイクに乗った日本人は怪しく見えたようで尋問のようなことをなんども受けたのが大きな思い出に残っています。
また、現地でいわゆる「野宿」をしていると声をかけてくれる優しい人も何人もいました。そんな人たちに食事をごちそうしてもらったり、家に泊めてもらったり、大型トラックの荷台にバイクごと積んで運んでもらえたりしました。
本当に多くの人に助けられた旅でした。ブラジルの後にはチェ・ゲバラが人生最後に革命を起こし、失敗し殺された国でもあるボリビアに入りました。チェ・ゲバラが最後に暗殺された場所を訪れたり、今回の旅で唯一と言っても良える観光地を訪れました。
それが「ウユニ塩湖」です。「チェ・ゲバラ」「ボリビア」という関連性からウユニ塩湖のことは以前から知っていたのですが、初めて生で観た鏡張りの湖はこの世の物とは思えない美しさでした。そして、ウユニ塩湖をしっかりと目に焼き付けた後は私のバイクの旅はさらに北上し、ベネズエラに向かいました。ここは「ウーゴ・チャベス」という南米で有名な革命家の1人が産まれた地でもあります。チェ・ゲバラつながりでベネズエラにも関心があった国でした。寝袋を旨く使いながら時にホテルを利用したりして寝泊まりしていると「食事はどうしていたのか」とよく聞かれましたが食事は全く問題有りませんでした。ただ、「水」が日本とはまったく違うので、それがあわずにおなかを壊したことは何度も有りました。ブラジルやウルグアイでは肉をメインとした料理、そしてボリビアやベネズエラでは「食用バナナ」である「プランテーン」やタロイモなども個人的にはおすすめだと思いました。
私の場合はここからさらに北上し、中米のコスタリカでバイクを乗り捨てて飛行機で日本に帰ったわけですが、この「チェ・ゲバラをたどる南米のバックパックの旅2週間」ではバイクに乗りながらの日本と違う環境を感じました。それは「貧富の差が激しすぎる」ということです。高級外車に乗っている人もいれば、その地最大のスラム街で何とか生活している人や裸足で走り回っている子供たちがたくさんいるという現状を感じました。今回の旅では飛行機代も入れると総額20万円近くかかってしまいましたが、NPOとして活動している私自身にとってはそれ以上に価値がある経験ができました。私のようにチェ・ゲバラの軌跡をたどる度をする人はなかなかいないかもしれませんが、それ以外においてもスリと置き引きと盗難にさえ気をつければすばらしい場所です。機会が有れば是非訪れていただきたい場所です。